Oct 29, 2008

第三章の内容

この章の標題、「メル友を持ったニホンザル」には、2つの意味がもりこまれている。1つめは、サルが仲間と交わす音声によるコミュニケーションは、現代人が携帯電話でメールをやりとりしているのと本質的に同一の機能を果たしているという事実。そして2つめに、IT 社会の私たちのコミュニケーションはたかだかニホンザルのそれと変わらないということを意味する。つまり、人間もメル友を持ったサルに過ぎないということである。実際のところ、社会の高度情報化は人間のコミュニケーションのスタイルを従来とは根本的に変えてしまったと言える。しかもそれは、遠く離れた多くの人とも瞬時に大量のメッセージのやりとりが可能になったという単におめでたい話にとどまらず、量の問題にもとどまらず質的に変化が生じた。しかも最終的に、他者との関係の持ち方まで変えてしまった。ルーズソックスや靴のかかとを踏みつぶす風俗は、変化の一部にすぎない。本当に起こっている大きな変容は、なかなか観察だけでは目にとまらない。ケータイ文化がなぜサル的といえるのか。サルにも会話のルールがあり、人間の会話能力はそれをひきついで初めて進化したのである。
会話規則の存在
対象として取り上げるのはリスザルとニホンザルの2種。ニホンザルは日本列島に生息する固有種、リスザルは中南米のジャングルに広く分布する。リスザルは日常、チャックコールという音声のみを頻繁に出す。声には、個性があり慣れてくれば音だけで誰が鳴いたか容易に判別できる。リスザルの群れ内では誰かが鳴いて一定時間内に誰かが発声すると後者は前者への応答と見なされるというルールが出来ている。

見えない相手と会話する能力
1990年代に入ると、当時、東京大学理学部人類学教室の大学院生だった杉浦秀樹氏が、屋久島の野生ニホンザルに、リスザルとほとんどそっくりの会話規則があることを見出した。相違点は、応答が返って来る時間感覚がリスザルより少し長いことと音声の質が「クー」と響くクーコールであることだけにすぎない。ただし、ルールは同一でも、会話自体が仲間の社会関係に及ぼす影響は二種で異なることもまた明らかとなった。というのも、私たちにもよくおしゃべりする仲間とそうでない相手がいるようにリスザルやニホンザルも群れ内で、高頻度に音声を交換する個体とそうでない個体ができてくる。  
では、頻繁におしゃべりする社会関係とはどういう社会関係といえるのだろう。リスザルに関しては、より身体接触を行う個体間ほど、より高い頻度でおしゃべりすることが分かった。ところが、ニホンザルでは全く正反対の傾向が見られる。一見疎遠とも思える個体同士ほど、より多く会話している。リスザルは、親和的な関係にあって顔を合わすことが多い仲間同士が音声を交わす。しかし、ニホンザルは仲間が自分から空間的に離れた時に、むしろ声を出し合う。彼らが生活する森の中は視界が良くない。なので、仲間からはぐれてしまう危険を防ぐためにおしゃべりが役立っている。自分が声を出して応答があることで彼らは仲間と一体であるという安心感を得ているらしい。
おしゃべりによる仲間の大衆化
相手が視界から消え去った時に、社会関係を維持するためにおしゃべりをしあうというのが、きわめて高度な社交術であるのはあらためて指摘するまでもない。目下のところ動物ではヒヒとニホンザルの仲間だけで報告されている。両者とも、時として数百頭という例外的に巨大な群れを形成することが知られているが、それはこの社会性によってのみ可能となったと思われる。他の霊長類の群れは、大きくても50頭を超えることはない。対面して関係を維持するためにはこのあたりが限界なのである。
ただし、彼らの発する音声には、メッセージは含まれていない。仲間の所在を確認し、反応が聞こえなくなる事態を防いでいるに過ぎない以上、やっていることは下等と言えば下等かもしれない。だが、最近の日本人と比べてみると,あまり差がないのではないかと著者は考えている。
とりわけ、若者が携帯電話でメールをやりとりするのとそっくりである。ケータイを使い出すと,常に身につけていないとどうも不安な気分に陥るらしく,先程まで会っていた相手と離れるとすぐに「元気?」などのあえて価値のない情報を交信している。ニホンザルも起きている間中誰かと繋がっていないと落ち着かないようであり、大昔からサルがやっていたことと同じである。
ちなみに、著者が渋谷で行った調査によると、十代のメル友は成人より一桁数が多いことが分かった。
日本語には、英語のgroupに当たる言葉として群れと集団という言葉がある。前者は動物について用いられることはあっても、ふつう人間には使わない。しかし、ケータイの普及は人間ですら群れ的にしか結びつかず、それでいて充足して生活できることを実証してくれているということである。

出典 『ケータイを持ったサル』pp60~68
著者  正高信男
出版社 中公新書
出版年 2003年



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