死刑について
1.はじめに
最近ニュース等で凶悪な犯罪の為、死刑判決が 下ったという情報をよく目にする。2006年9月26日に奈良市女児殺人事件の小林薫被告、12月13日には大阪姉妹殺人事件の山地悠紀夫被告に死刑判決 が下された。2006年に最高裁判所で死刑判決が下った件数は16件にも及ぶ。どれも残虐で許しがたい犯罪である。このような様々な犯罪がある中でどのよ うな基準で刑を決めているのか、ふと疑問に思い何気なく調べていくうちに「死刑」に対する色々な制度や問題があることを知った。今までは「悪い犯人が死刑 になって良かった。」という程度の考えで自分には関係のないトピックだと感じていたが、命の重さ、大切さが見失われつつある今、知っておくべきことや考え ねばならないことがあるのではと思い今回まとめることにした。2.死刑とは
「死刑」とは漢字からも解るように、「生命を絶つ刑罰」『広辞苑』である。つまり死に値するほどの重罪を犯した者に 下される刑だ。しかし、この刑の適用は国によって実に様々である。まず、「死に値するほどの重罪」とは、簡単に言えば大体が故意に殺人をした場合だろう。 また、処刑方法も日本は絞首刑だが、中国では致死薬注射、アフガニスタン,イランでは石打ち刑、サウジアラビア,イラクでは斬首、米国は州によって違うよ うだが、電気処刑、致死薬注射等と、どれもなかなか残酷な処刑方法である。電気処刑と絞首刑以外は一人の人が執行しているようだ。執行人は自分が殺人をし ているということがはっきり分かるが、精神に異常が起きたりしないのか疑問である。また、子どもの犯罪者に対する死刑の適用はどうなのかというと、国際人 権諸条約が18歳未満の者に死刑を宣告,処刑することを禁止している為、ほとんどの存置国はそれを守っている。しかし残念なことに、子どもの犯罪者を処刑 し続けている国も少数だが存在するのだ。例えば、中国、米国、パキスタン、イエメン、サウジアラビア、ナイジェリア、コンゴ民主共和国などである。 2006年5月には、イランで17歳の子ども犯罪者が処刑された。そして、なにより重要な違いは、世界には死刑を廃止している国と存置して いる国があるということである。死刑廃止に向けた国際協定、すなわち国家が死刑制度を持たないようにする国際的な条約は現在4つ存在する。「市民的および 政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書」「死刑を廃止する人権に関する米州条約議定書」「人権および基本的自由の保護のための欧州条約の第6議定書 (欧州議定書)」「人権および基本的自由の保護のための欧州条約の第13議定書(欧州人権条約)」の4つで、そのような条約に批准または署名しているヨー ロッパなどの数多くの国々から、日本,アメリカなどのいくつかの先進国が批准していない事が批判され問題となっている。存置国と廃止国については次節でと りあげる。
3. 存置国と廃止国について
アムネスティ・インターナショナル*の情報では、2006年12月12日現在で日本が認めていない 独立国などを含む197カ国中、88カ国がすべての犯罪に対する死刑を廃止していて、11カ国が例外的な犯罪以外のすべての死刑を廃止している。法律上は 死刑を存置しているが、実際は過去10年以上死刑執行されていない事実上の死刑廃止国は29カ国存在する。計128カ国が死刑を廃止していることになるの だ。反対に死刑を存置している国は69カ国あり実際に執行している。グラフからも分かるように、法律上存在するが十年以上執行していない国も含め、廃止国 は全体の65%にも及ぶのだ(図1参照)。日本に住んでいて死刑制度が当たり前だと思っていた私には、驚くべき数字であった。図1.死刑における存置国と廃止国の割合
4. 廃止論と存置論
廃止国と存置国にはそれぞれの理論がある。どのような理由を持って廃止あるいは存置しているのだろうか。廃 止論には大きく分けて二つに分かれる。一つは人道的な面から見た意見で、もう一つは刑罰の本質を考えての意見だ。①では廃止論を細かく説明し、②では存置 論を、廃止論に対しての反論として示す。[1] 廃止の理由
人道的な面から見た意見
1. 死刑というのは野蛮かつ残虐な刑罰であり、人道上禁止すべきである。
2. 国民に殺人を禁止しながら、死刑という殺人を認めるのは矛盾であり、生命尊重に徹するなら許されない。
3. 国家が自ら与えることのできない生命を奪うことは許されない。
刑罰の本質論に関する意見
4.死刑は犯人改善の余地がなく、教育の理念に反する。
5.執行時の改悛など刑罰の裏づけとなる事柄自体には変化がありえるので、それに対応できない死刑は刑罰として不適切である。
6.死刑の一般予防機能に関連して、死刑は犯罪者に対しても一般人に対しても威嚇力がない。
7.誤判の場合の回復不可能性。
(『刑事政策のすすめ‐法学的犯罪学‐』p.57)
こ れらの理由を見てみると、1.2.3.の人道的な面から見た意見には賛成である。しかし、刑罰の本質論に関する意見の4.犯人改善の余地についてはあまり 納得がいかない。そもそも殺人犯を改善できる確率はどれほどあるのだろう。快楽殺人犯などは、根本から普通ではないのだ。ある種、病気とも言えるだろう。 最後まで反省しないで処刑される犯罪人もいる。そのような人たちを善人に変えることは可能なのだろうか。7.の誤判の件はその通りだ。映画でもそのような 話題をとりあげた「グリーンマイル」、「ショーシャンクの空に」や「13階段」などの作品が存在するのだから、重大な問題なのではないだろうか。
[2] 存置の理由
廃止論に対しての反論
1.2.に関しては生命を奪った犯罪こそ非人道的である。
3.に対しては、社会契約説的立場からも死刑の正当性は論証される。
4.5.6.にたいしては、社会感情の満足がはかられるべきである。
7.については死刑のみの問題ではない。
(『刑事政策のすすめ‐法学的犯罪学‐』p.57)
この反論に対して、1.2.の考えは、死刑か犯罪のどちらが非人道的かということは個人の考えであって、両方とも殺人には変わりないのだか ら比べるのがおかしいのではと感じる。7.は生命が関わっている刑は死刑しかなく、極刑とされているのだから、かなりの問題点として考えるべきである。そ して何よりキーポイントになるのではと感じたのが、4.5.6.だ。もしも自分が被害者の親族などであるとすれば、この理由のみで死刑の存置に賛成だろ う。死刑がなければ犯人は私たちの払っている税金で生活することになるのだ。反省しているならまだ良いが、反省するどころか殺人をしたときの快楽が忘れら れないなどと言っている者に関しては許せるはずもなく、一生憎んだままだろう。心が安らぐ時など一瞬もなさそうである。
もう一つ疑問に思っ たのは、死刑を廃止して犯罪が増えないのかということだ。アムネスティ・インターンナショナルの調べでは、カナダが実際に死刑を廃止する前と廃止してから の殺人率を出しているが、人口10万人あたりの殺人率は死刑を廃止した年の前年の1975年の3.09件のピーク時から、1980年には2.41件に低下 し、その後もさらに減少の傾向にあると示している。国によって相違があるかもしれないが、この例から考えると問題はなさそうだ。
5. 日本の被告人の現状と人権問題
死刑廃止国際条約の批准を求める「フォーラム90」というサイト内に「隠されている 日本の現状」というページがあった。それを読んでいると、どうやら現在の日本の死刑制度には私たちの知らない事実が多々存在するようだ。日本人として知っ ておくべき情報であったので以下でまとめ、考えたいと思う。現在の日本には死刑制度がある。死刑判決が確定するまでに逮捕,裁判とあり、取 調べが行われるわけだが、ほとんどの逮捕者は十分な法的援助を受けることなく一人で長時間立ち向かわなければならないようだ。多くの被疑者は警察からの圧 力などに耐え切れず警察の強引な供述調書作成に応じ、本当は傷害致死なのに殺意があったことにされたり、突発的に殺してしまったのに計画していたことにさ れたりして、不利な自白が作り上げられるのだ。
裁判中、被告人は拘置所に入れられ保釈は認められない。独居房は狭く流し台,便器,寝具,机 などがあり、拘置所の規則によって室内を自由に動くことも許されないようだ。その上、起床から就寝まで拘置所のタイムスケジュールにそって生活しなければ ならず、食事、入浴、面会など様々な制限があるのだ。まだ有罪判決が出ていないのに、このような過酷な状況におかれるということは全く収容者の人権を無視 していることになるのではないだろうか。収容者は運動不足,ビタミン不足などから、腰痛,虫歯,歯槽膿漏,視力減退,拘禁ノイローゼなどになることがあ る。そんな酷い症状になった収容者が無実であったら大問題である。
しかし確定後はもっと凄まじい。制限は更に厳しくなる為、上記で挙げた症状は悪化することもあるようで、失明,歩行困難,失語症,精神障害などを引 き起こす死刑囚もいる。そんな重症であっても病院に送られることはめったになく、もちろん治療も十分に行われないのだ。ほとんどの死刑囚が死刑執行まで 24時間カメラで監視された独居房で生活する。執行の日にちは誰にも知らされず、朝、突然に「これから死刑を執行する。」と告げられるのだ。いつ執行され るか分からず毎日脅えながらの生活はまさに生き地獄だ。
死刑執行の流れは、まず朝に執行を告げられてから処刑所に連れて行かれ、数分間の遺 書を書く時間が与えられるそうだ。それが終わると、後ろ手に手錠をかけられ、目隠しをされ、床板が二つに割れる処刑台に立たされる。そして膝を縛られ、同 時に首にロープがかけられる。合図で床板が開き、死刑囚は落下し絶滅するまで地上15センチの空中に吊り下げられたままになる。下には医師が待機しており 生死の確認をするようで、死ぬまでに約20分かかるといわれている。
執行後、家族に連絡される。家族は遺体を引き取ることもできるが大半は引き取られないようだ。
死刑が執行されるまでこのような流れになっているが、何とも言えぬ感情がわいてくる。それだけ悪いことをしたとはいえ、あまりにも人権を無視しすぎ ではないだろうか。人としてではなく獣のような扱いで、残虐な殺人事件とそう変わらない。死刑囚に被害者と同じ苦しみを与えることで罪滅ぼしをさせるとい うことだろうが、その考えはどうかと思う。私は被害者の遺族になったこともないし、勿論、被害者になったこともない。しかし、この現実を見て、こんなこと で傷は癒えるだろうか、死刑をすることに意味はあるのだろうかと考えなおすようになった。
6. 最後に
死刑を廃止した方が良いのか、存置した方が良いのか、はっきりとどちらか決めるのは非常に困難な問題であるが、色々 なことを調べた結果やはり死刑は良いものではなく、できればない方が良いと考える。しかし死刑にならないとどうしようもない犯罪者も存在する可能性も否定 できないので、難しいだろうが、例外を除いて廃止するのが一番良い方法なのではないだろうか。今回調べたことで日本の死刑制度について知り、ショックを受 けた面もあったがこれからの日本の人権問題について考えるきっかけとなった。世界ではどんどん死刑を廃止する傾向があり国際条約も存在するのだから、もっ と国民一人ひとりが考えるべき問題なのだろう。これからも人事だと思わず真剣に命の大切さを考えていこうと思う。*アムネスティ・インターナショナル:投獄された政治犯の釈放、死刑・拷問の廃止、亡命者の保護などを目的とする国際組織。
参考,引用文献
前野育三、前田忠弘、松原英世、平山真理 2003.
『刑事政策のすすめ‐法学的犯罪学-』 法律文化社
参考ウェブサイト
「アムネスティ・インターナショナル日本 死刑廃止ネットワークセンター」2006年11月1日23時31分http://homepage2.nifty.com/shihai/index.html
「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」2006年11月20日22時34分http://www.jca.apc.org/stop-shikei/index.html
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