靖国神社参拝問題
1.はじめに
靖国神社とは、明治2年に明治天皇が戊辰戦 争で命を落とした人たちの霊を祭るために東京招魂社として創立され、現在では私的宗教法人として成り立っている神社である。現在この神社には、幕末から太 平洋戦争までの軍人や軍属の戦没者の247万人が本殿に奉られている。昨今小泉前首相が数多くの批判を受けながらも靖国参拝の意思を断固として曲げなかっ たことから、再び首相の靖国神社参拝が政治問題として注目を集めるようになった。それではこの首相の靖国参拝は何が問題なのであろうか。2.「政教分離の原則」の視点でみる靖国問題
まず、「政権分離の原則」に違反するのではないかという事が挙げられる。日本では政教分離という文言を直接用いた条文は存在しない代わりに、日本国憲法第20条にこのような事が明記されている。- 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
この中の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という観点から考えると、内閣総理大臣が公言して特定の宗教施設である靖国神社へ参拝するのは、政教分離の原則に違反している事は明らかである。
ま た靖国神社は、戦前のいわゆる「国家神道対策」もとづいて、国が所管する神社として発展した神社であったが、敗戦後の日本を占領することになった GHQ(連合国軍総指令部)によって出された「神道指令」により、靖国神社は国とは独立した一宗教法人となった。現在一宗教法人となっている靖国神社もこ の政教分離の原則から考えると、国との関係を完全に断ち切らなければならない。しかし終戦後、厚生省が戦没者を個別審査して祭神名票を作成していた事実が 存在していたなどとして、完全に切れているとは言いがたい。それではなぜこのような法律があるにも関わらず、国と宗教との癒着が未だ存在したり、首相の靖 国参拝が訴えられても、ほとんどが棄却されるのだろうか。
その理由のひとつとしておそらく、同条1項に明記されている「信教の自由は、何人 に対してもこれを保障する」という事が関係してくるのだろう。つまり国の機関に関わる人物は特定の宗教に入れ込んではならないにも関わらず、現在の日本国 内において国民はもちろんのこと、政治化の思想や信教の自由を制限することも不可能であるという事だ。この矛盾が首相に「私的参拝」という言い訳を与えて しまい、靖国参拝問題がより複雑になるのである。 しかしこの政権分離に関する問題は日本だけで起きているのではない。例えばアメリカでは大統領が裁判や大統領就任の際に聖書に手を置き、宣誓を行っ ている。これは一部では政教分離に違反するのではないかという意見が出ている。しかし一方で、ブッシュ大統領がこれに配慮をしてクリスマスの際 「Merry Christmas!」ではなく「Happy Holiday!」と演説したことが、キリスト教右派に批判されたという事もあった。これらの事から分かるようにこれは、日本以外の国でも政治権力と宗教 との係わりについてどのような折り合いをつけるかについて未だに議論が続いているほど難しいテーマなのである(Wikipedia 政教分離原則)。
以前この政教分離の原則に違反しているのではないかという記者から投げかけられた質問に対し小泉氏はこのような事を言った。
私は伊勢神宮にも毎年参拝しています。その時には何名かの閣僚も随行しています。別に私は強制していません。そして、皆 さんの前で神道形式に則って伊勢神宮に参拝しています。その時に憲法違反という声起こりませんね。何故なんでしょうか(小泉総理インタビュー 2006年 8月15日)。確かに何故マスコミはこの靖国参拝ばかりをクローズアップさせるのか。それはやはり靖国参拝問題の中で最も大きなテーマとも言える、A級戦犯が祀られているということが関係してくるのかもしれない。
3.「A級戦犯」の視点でみる靖国問題
それでは、次にこのA級戦犯について考えていきたい。A級戦犯とは極東軍事裁判(東京裁 判)において最も重い罪とされる「平和に対する罪」として処罰された太平洋戦争の中心的指導者である。「1946年4月29日の極東軍事裁判で、絞首刑7 人(東条英機元首相,板垣征四郎陸軍大将,土井原(どいはら)賢二陸軍大将,松井石根(いわね)陸軍大将,木村兵太郎陸軍大将,武藤章陸軍中将,広田弘毅 (こうき)元首相=1948年12月23日に絞首刑)・終身禁固16人・禁固20年1人・禁固7年1人」(松山大学 田村ゼミ)の判決が出され、サンフラ ンシスコ平和条約で日本はこの結果を受け入れた。しかしこのサンフランシスコ平和条約を受け入れ日本が独立を回復した後、戦犯の釈放運動が 全国で起こり、その嘆願署名は4000万人を超えた。その後A級戦犯は1956年までに釈放され、その中には閣僚や、総理大臣にまで就く者もいた。 1966年に厚生省はA級戦犯の「祭神名票」を靖国神社に送付したが、当時の宮司、筑波藤麿は天皇家に配慮し差し止めた。この宮司が急逝した後、1978 年に新たに就任した宮司、松平永芳が宮司預かりとなっていた「合祀名簿」を昭和天皇のもとに持っていき、最終的に彼らは同年10月 から靖国神社に“昭和受難者”として合祀された。この時、このA級戦犯合祀が後に政治問題へと発展する事を誰も危惧しなかったのだろうか。
む しろその当時、東京裁判自体を否定しA級戦犯の名誉回復を求める動きが強かったという可能性が高い。例えば読売新聞(2005年6月9日 付け)によると、戦時中に大東亜相を務めた青木一男がA級戦犯合祀について「合祀しないと東京裁判の結果を認めることになる」と強く主張したとのことだ。
これらの事も受け現在、靖国神社に祀られている14名のA級戦犯については様々な物議が醸し出されている。今年2006年、終戦記念日である8月 15日に小泉首相が靖国神社参拝した後、報道関係者はほぼ一斉に参拝についてアンケートをとった。その結果によると首相の「参拝を支持する」と答えたのは 読売52.6%、毎日50%、共同51.5%であった。これに対し「参拝を支持しない」は、読売39.1%、毎日46%、共同41.8%にとどまった。そ の中での「支持をしない」の理由として、いずれも「中韓両国との関係悪化」と「いわゆるA級戦犯合祀」が大半を占めたのである(Infoseekトラック バックテーマ)。
図1.2006年首相の靖国参拝に対して新聞各社の世論調査
(資料:Infoseek トラックバックテーマ)
この反対派の理由から見ても分かる通り、A級戦犯が祀ってあるという事が首相の靖国参拝問題の根元であると言っても良いだろう。
また「中韓両国との関係悪化」とあるが、これもA級戦犯が関わってくる。彼らは太平洋戦争時に大きな被害を受けた。その太平洋戦争の中心的指導者で あったA級戦犯が祀られている神社に、総理大臣という日本の代表が参拝するという事は許しがたい事実なのである。しかし中韓両国はこの問題を外交カードと して利用していないともいえない。例えば首脳会談延期、常任理事国の不支持など、その度に靖国問題が取沙汰されて来た。また北朝鮮による日本人拉致に関し て北朝鮮とのパイプ役であると言われている中国が靖国参拝問題を出してきたら速急に進めなければいけないこのような他の問題も滞ってしまう事になる。この ように「中韓両国との関係悪化」だけでなく他の問題も深刻化してしまう前にも、この靖国参拝問題に早く終止符を打ちたい。
4.靖国参拝問題の解決策
そ こで、この問題を解決させようと様々な案が出てきている。その中に「A級戦犯分祀」という案がある。これは首相の靖国参拝問題と根幹とも言えるA級戦犯 14名を靖国神社から分祀しようという動きだ。しかし、実際この案はいくつかの問題点がある。まず第一に、神社本庁が分祀に難色を示しているということ だ。実際にこのような記事がある。以下にニュース記事の抜粋をあげる。神道の見解では、分祀とは、ある神社の祭神をロウソクの火を移すように別の神社でも祭ることを指し、俗に言う分祀は神道 の教学の「廃祀」にあたる。本庁の見解では、靖国からA級戦犯14柱の御霊を別に移すには、246万柱余すべてをいったん廃祀することになるため、実際に は不可能となる。井上教授は「分祀は理論上あるが、神社本庁がやらないと言えば、それが教学、という世界だから」と語る(2006年 8月 7日 毎日新聞)。つまり神社側の見解は魂の分祀は神道の教義上、ほぼ不可能であるという事だ。
そして もう一つの問題点とは、A級戦犯を分祀したとしても先ほども述べた政教分離の原則から考えると全く問題解決にはならないという点である。つまり首相が特定 の宗教施設に参拝する限り、どんな解決策を講じようとも首相は違憲の立場であり続けるということである。また、国が神社本庁に直接注文を申し入れることも この原則に違反する恐れがあるという非常にややこしい話になってしまうのである。
このように、神道の教義や政教分離の原則が絡んでくるため「A級戦犯分祀」は困難、もしくはかなりの時間を要し、問題が長期化する恐れがあるのだ。これらの問題をふまえ、新たに政府から提案されたのが「国立追悼施設建設」である。以下にニュース記事をあげる。
新たな戦没者追悼施設のあり方について検討する超党派の議員連盟「国立追悼施設を考える会」の発起人会が28日 昼、国会内で行われ、呼びかけ人の自民党の山崎拓前副総裁、公明党の冬柴鉄三、民主党の鳩山由紀夫両幹事長ら、3党から発起人14人が初めて集まった。山 崎氏を会長とする役員人事を固め、発起人が手分して3党から100人程度の入会者を募ることなど、運営方針について確認した。設立総会は11月9日に内定 し、福田康夫官房長官(当時)の私的諮問機関が2002年12月にまとめた国立追悼施設建設の必要性を示す提言をもとに、勉強会を行うとしている (2005年10月 28日 livedoor ニュース)。つまり、靖国神社とは別にアメリカのアーリントン墓地の様な国立の無宗教の追悼施設をつくり、誰もが祈りを捧げることが出来る環境を作ろうという提案だ。
アーリントン国立墓地とは国立の戦没者慰霊施設である。1864年に、南北戦争の戦死者のための墓地として造られ、現在でも戦死者やテロ犠牲者、か のJ.Fケネディー大統領などのようなアメリカのために尽くした人物が埋葬されている。設立当初から現在まで,国立墓地として,国家によって管理されてい る追悼施設なのである。埋葬式は希望者の宗教・宗派に応じて行われる。もちろん無宗教の者には、その希望に沿った埋葬を行っている。アーリントン墓地関係 者は、ユダヤ・キリスト教的伝統の宗教だけでなく、イスラム、仏教などによる埋葬にも応えると語っている。つまり、宗教に対して同等の扱いをするというス タンスなのである。
小泉前首相も2006年6月にアーリントン墓地を訪れ献花を行った。これに似た施設を日本にも造れば、政教分離に違反す ることもない上、この様に外国の代表者も何の問題もなく訪れたりと、誰もが皆平和への祈りを捧げることが出来るのである。以上の事から考えると、「国立追 悼施設建設」今のところ最も有効な解決法ではないだろうか。
実は日本にこのアーリントン墓地に似た国立無宗教施設が存在する。千鳥ヶ淵戦没 者墓苑である。千鳥ヶ淵戦没者墓苑とは1959年に造られた第二次世界大戦時に海外で死亡した日本の軍人・一般人の遺骨を安置する、国立の無宗教施設であ る。ここまで見てみるとアメリカのアーリントン墓地と何ら変わりない様に見える。しかし、千鳥ヶ淵戦没者墓苑は「遺族が不明で引き取り手のない骨」や「身 元不詳のため遺族に引き渡されなかった骨」を安置する、いわゆる「無名戦士の墓」なのである。そのため、今まで千鳥ヶ淵戦没者墓苑は靖国神社に押されるか たちで、あまり注目を集める事がなかった。
しかしここにきて、国立無宗教施設を新たに造るのであれば、この千鳥ヶ淵追悼墓苑を有効利用してはどうかという動きが出できている。例えばこのようなニュース記事がある。
小泉純一郎首相は26日、自民党の中川秀直政調会長が千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)の拡充を先に首相に提案した 際に「政府の資産売却を考えるとき、土地を民間に売却するだけでなく公園にしたり有効利用も考えてほしい」と指示したことを明らかにした。首相官邸で記者 団の質問に答えた(NIKKEI.NET ニュース 2006年 6月 27日)。
千鳥ヶ淵追悼墓苑の有効利用 は画期的な案であろう。しかし、千鳥ヶ淵に無宗教として新たに魂を移すとなると、その家族の信仰を国が決めてしまうことにならないだろうか。つまり国家に よる個人の信仰の干渉になってしまうのである。現在日本における国立墓苑についての議論は政治色が強く、人間にとっての宗教理念を尊重するものにはなって いない。また日本には古代から続いてきた、今や生活の一部となっている「神道」という伝統的民族精神が存在している。この様なことも含めて、国立追悼施設 に新たに魂を埋葬する場合には、十分な議論が必要となってくるだろう。
5.結論
基本的に、政治と宗教の問題を同じフィールドで考えてはならないと思う。何故ならそれぞれ成り立ってきた歴史的背景とい うものが全く違う上、特定の宗教に政治が介入すると、他の宗教を信じる人達に対して不利益を与え時には国までも滅ぼしてしまう危険があるからである。しか し靖国問題がここまで大きくなってしまったからには、強行な参拝は自粛し何らかの解決策を講じる他ないだろう。やはり最も有効な解決策はこの「国立追悼施 設建設」なのかもしれない。靖国問題についてはこれからも様々な議論がなされるだろうが、いずれにせよ誰もが静かに平和への祈りを捧げる事の出来る環境が早く整って欲しい。それが戦没者にとっても一番の願いだろう。
参考資料
フリー百科事典 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ (検索日2006年11月5日:政教分離原則,千鳥ヶ淵戦没者墓苑,A級戦犯,アーリントン国立追悼墓地,靖国神社)
Infoseekニューストラックバックテーマ 賛成?反対?靖国参拝 http://plaza.rakuten. co.jp/isnewstb/diary/200608170000/ (検索日2006年12月15日)
小泉総理インタビュー http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2006/08/15interview. html(検索日2006年12月15日)
毎 日インタラクティブ 靖国:「戦後」からどこへ/2 揺れる分祀否定論 教学の主柱「語れぬ」http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji /gyousei/yasukuni/news/20060807ddm 002040018000c.html(検索日12月10日)
日本共産党 靖国神社と千鳥ヶ淵墓苑の違いは? http://www.jco.or.jp/faq_box/ 2001_06_20faq.html (検索日2006年11月5日)
NIKKEI.NET 記事「千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充で首相「有効利用を」」http://smartwoman.nikkei.co.jp/news/article.aspx?id=20060627n1005n1(検索日2006年12月10日)
Live door ニュース 記事「新追悼施設で有力議員が初会合」http://news.livedoor.com/ webapp/journal/cid_1462333/detai (検索日2006年12月15日)
辻雅之. All About 靖国の歴史、A級戦犯、首相参拝、中国からの批判……「靖国問題」基本的なQ&A
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050613A/index.htm(検索日2006年11月15日)
靖国神社(参拝)関連資料 松山大学 田村ゼミ http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/ ~tamura/kadai01.htm (検索日2006年12月15日)
YOMIURI ONLINE 靖国問題特集 http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6700/ (検索日2006年11月5日)
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